これはあくまでもいろいろな社会的な関係を築きそのなかで新しい考え方である「共感資本社会」をみんなで模索するための会だと私が勝手に認識しています。(笑)
そんな第一回目は、今回の主催者でもあり、私が以前読んだ「持続可能な資本主義」著者でもある新井和宏さんの講義でした。
テーマは、共感資本 「共感資本社会実現への挑戦」
最初から、「講義終わったらもやもやすると思いますが、それが正解です。」から始まりました。
事細かな詳細は、新井さんの講義を聞いていただければと思いますが、
たしかに今までになかった「共感資本社会」です。
実は長年私がモヤモヤと考えてきたことが実はまとまっているという感覚なんです。
しかも、現時点では、このもやもやで正解なんだと思いましたw
私は、小学校までは転校生で地元という地元がなく近所の先輩という人がいません。中学校も帰宅部で部活動の先輩後輩関係がほぼありません。いい意味でも悪い意味でも。
そして、高校は新設校に入学したので1期生なのです。もちろん、先輩がいません。年上は先生たちだけです。しかもこの学校は変わっていて、校舎が間に合わなかったので、校舎もなければ運動場の体育館もありませんでした。やっと1年生の2月に新校舎に引っ越しです。
それから今までずっと1期生なのです。
高校もなのですが、大学は新設学部の新設学科でした。本校から外れていたので、基本的にはほぼ1期生。更にそのまま大学院に行きました。そのときに理系の大学・大学院だったので、研究室実験室に配属されるのですが、なんと実験装置も揃ってないのです。授業も実験も試行錯誤の状態です。さらに私は、大学院時代に起業したので、会社員経験もなく社会人になりました。つまり社会人になるまで先輩らしい先輩がいませんでした。最近までそうは言っても、起業したら、起業家の先輩、先輩の社長さんたちがいたと行ってきましたが、実は、インターネット元年にWEBの会社を起こしたので、実は相談できる先輩会社もほぼ存在しないのです。
なので、何かを新しく作っていく社会に全く抵抗感がないのです。
なぜなら、高校時代は、運動会も、文化祭も第一回目でした。伝統もなければ去年のプログラムも存在しないのです。自分たちで全て考えて作っていくしかないのです。もちろん他校とかを参考にはするものの、強制されることもなければ、伝統と違うと言われることもないのです。また、自分が嫌な部分は、やらなくてもいいという、そんな感じです。だから、これでいいのか悪いのかは、やってみないとわからない。正解なんてわからないしという状況で35年近くやってきました。
とってもおこがましいですが、新井さんの話がよく分かるんです。いやわからないもやもやしているところもよく分かるんです。
今までの世界(戦後から今まで)は、正解(1つの解答)がありました。正解があるので、学校教育も社会教育もやりやすかったでしょう。質問に対して回答があるから教える方も楽、学ぶ方も楽。それ通りしていればよかった。逆に、それに従えないような人は、道からハズレた人として社会から外れていく。外されていく。
でも、時代は変わり多様性を認め合う社会。そんなふうに変わってきたと思いませんか?しかし多様性になるように強要するのはまた違うんですよね。
2018年から考えて企画している地方応援働き方改革助っ人HiBee!も、うんうんつながっている間違ってなかったんだと思いながら聞きました。
だから、問いかけが必要でその答えがなくていい。ただし問いかけを繰り返していくうちに、なんとなくの方向が見つかる。そしてまた新しい問いが見つかる。まさにモヤモヤ。まさに禅問答だなと思いました。
集中型の中央集権的から地方分散型の自立分散型とか、先日衆議院会館で話してきた内容とつながっていたり、
BI(ベーシックインカム)=ライスワーク と 生きがい遣り甲斐のライフワークを分けれることや 税制や貨幣価値を考え直す時代に来ているんじゃないかなと。
話を聞いていて、うなずくとか、反対意見を言うとか、そんな感じではなく、心地いい感覚でした。
時々私がコラボの説明のときに話す それぞれは自分の食い扶持は稼いで独立した上でコラボを考えないと、おんぶにだっこの誰かに頼るはやめたほうがいいよと
まさに、集中型ではなく、自立分散だなと その上で社会的関係性を持てるかどうか。というとりとめのない話になりましたが、ざっとセミナー後つらつら思ったことを書いてみました。
要は、答えがある社会に生きていない。なので、色々対話や問答をしながら、モヤモヤでいいということに気づきました。
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